第二のふるさとへ一泊二日の帰省
大学時代を過ごした土地に、お世話になった人巡りをしに行った。
まだ今の土地に引っ越して1ヶ月。
大学を引っ越して2ヵ月。
もう懐かしくて、匂いが目に染みた。
大学時代に色々あり過ぎて、もう自分の中で「過去」になっているのがよく分かった。
発達障害が分かって知り合った団体の方と会った。
なんとなく違う感じがしてしまった。
当事者として、支援者として。
今回母と一緒に当事者と支援者の二人に会って、受診した時の話をした。
そのときの「お医者さんに聞いて納得した」という母の言葉が
同じ事を以前言っていたのに自分の言葉よりも医者の言葉で納得するのか
ということで当事者のかたが引っかかったらしい。
みんながイチ人間で、個人なんだなということを強く感じた。
自分という人間がどういう要素からできているのか考えさせられる経験だった。
多面的に見るという長短所を特性に持つ私が、すんなりその引っかかりを理解できなかった。
なんとなく、頭の遠くの方で(わがままだな)なんて言葉が響いている気がした。
「あなたの言葉を忘れたわけではない」
「根拠や具体例によってより深く納得したという意味」
支援者に対してそう言い訳のように言い募る母の姿にも違和感を感じていた。
所詮自分も、自分勝手な人間の一人だということだろう。
我を消す、ということは容易ではない。
高校時代に漫画で「無私」という言葉を知って、目指すものとして密かにかかげ始めた時から忘れたことはない。
私は、その特性から「一般化」「般化」ということがとても優れていると認識している。
ユガミンでは「パンカー」と呼ばれるが、特別支援分野では「般化」として一つの技術になる。
物事は表裏一体。
道具の良し悪しは使う人間次第。
要は「良く」使える人間になれればいいのだ。
そのために考えたことをこれから少しずつ文字にしていきたいと思う。